宇田由香の事、 それと引退する岡崎君

☆彡先ずは白血病と戦っている宇田由香の事、
そして昨日の事、そして全日本選手権で引退する岡崎君の事を後から書いてみます。


■■■骨髄性白血病と戦う宇田由香よ、病気に負けるな!■■■
厳しい病気だというのは判っている。
しかし病気に負けるな、うちの嫁様も乳癌からリンパ節に転移し第4期の癌を克服
したぞ!それは必ず勝つ、という確信によるものだ。
病気は医者は補助だ、自身の力で治すのだ、という強烈な確信が嫁様にはあった。
それが大きかったのだ。


宇田由香よ、君は病気に必ず勝てる。
自分の宿命は自分で変えれる。
自分を信じて戦うのだ。
流れに身を任せるだけでは駄目だぞ!
皆、健康に復活する宇田由香を待っているからな!
必ず戻って来いよ!!

             「宇田由香頑張れ」は以上です。




☆彡さて次は自分の事。思ってみれば些細な事だらけでしかないね。
自分は選手でも無いのだが徐々に距離が伸び始めている。
但しパワーは未だ低いままである。
体力をつける為に大事な2月付近から例の右目の複合感染症で走れなかったからだ。
まぁ先は長い。ボチボチやるしかない。



昨日は再び草津作業だった。
朝の9時半頃に家を出たが気温は涼しく曇り空で気持ちよかった〜。
ずっとこんな感じだったら体力復活も早いだろうけど・・・。
ま、風は向かい風だったけど涼しいのでペースは上がった。
調子が元通りなら無風フラットで36-37kmで巡航なんだけど未だ足らんなぁ。
昨日は30km強しか出ていない。53-19/90rpm強程度であった。
53-17/90rpm強が自分の好きな速度帯である。
これ以上は選手の皆様にお任せである。
そもそも自分は距離は乗っているが出力が低く高速走行が出来ない。
これに関してはレースで身に沁みていて自分のウィークポイントだな。



作業はものの15分程度で終わり。
もう時間が余ってしまった・・・。今から帰宅して夜の三船商店へ出直すのも面倒。
そこで昨夜遅くまでやっていた請求書発行で寝不足だった分をドコゾでリカバリする。
立命館の付近からのんびりサイクリング。



立命館の近所から大石方面に走るとのどかな風景。



■更に大石を過ぎ猿丸神社方面に進むと川沿いの冷風が心地よい。



猿丸神社の手前で時間調整休憩をすれば良かったのだが、ついつい
「上がりは先に済ませておこう」
というセセコマシイ根性で良い場所での休憩チャンスを逃してしまった。
これが後々影響するのだ・・・。



朝に行きそびれた「宇治田原・郷ノ口に有るらしい田中製麺所」の傍を通ったが確認
しなかった。(現在は井出町に移転したと三船さんが教えてくれた。)
又の機会やなぁ、と残念に思いつつ休憩場所を求めるが無い。
しょうがないのでローソンの軒下で休憩を始めたが、エンジン掛け放しのトラックの
音が煩い。
かましい奴やな、エコせんのかい。会社に叱られるぞと思いつつ休憩を続ける。
流石にローソン、車の出入りが多く煩くて落ち着かない。
挙句の果てに何処ぞの小父さんから
「自転車かー、何処から来たの?自分もどうのこうの・・・」
と話し掛けられて対応を求められノンビリする状態ではない。
此処はアカンね。



そのまま山城大橋を渡り、サイクリングロードに入ってみるが日陰が無い。
以前、クラブランの時に寒風を避けたトンネルを潜り向こうに回り土手に上がる。
もう、この辺でええかー、と諦めた。
土手に腰を下ろして背中からの風に吹かれつつボケっとしている内にウトウトして
2時間程度寝てしまった。


■サイクリングロードの土手から




その後、三船商店近くの7-11で飯休憩(休憩ばっかり・・・)をして19時半に夜店入り。
三船さん、早く来て済みませんでした。



☆彡ここで三船さんから岡崎君が全日本選手権を以って引退する話を聞く。
えーっ、そうなんか!

左様か、ついに引退か。彼は37歳やったかな。確かに妙齢かも知れない。
何より本人がそう思ったのならしょうがない。


彼は随分と以前から知っていた。
未だ自分が現役の時からの知り合いである。(岡崎君の方で思えていないかも)
当時は東淀川のイトーレーシングだったか枚方のポップコーンだったか忘れたが
レースによく出ていた。
その頃にNifty自転車フォーラムで知り合った泥高橋ダウト氏の紹介である。
泥高橋ダウト氏ともよく遊んで懐かしいのである。
この頃、泥ダウト氏や岡崎君、「インナーマン:荻田君」はスギノT&Hタニムラ、だったか
チームに所属していた。
このチームのジャージのデザインが好きで自分も着てみたいなぁと思っていた。


或る日、泥ダウト氏が走りに行こう、というので行ったら岡崎君と荻田君が居た。
未だ紅顔の美少年だった岡崎君、中々の走りで大いに感心した。
これが何年前が定かではないが、物知りのMr.泥山田なら掌の如く覚えているだろう。
いずれ大いに輝ける選手になるだろうと確信した。
その後、何度も顔を合わせたが話し込んだりする事はなく簡単に挨拶するだけだった。
彼もその後、病気になったりで大変だった。
及ばずながら応援をした記憶が懐かしい。
後は雑誌やネットでの情報で彼が逞しく育ち活躍をしているのを知り嬉しい思いでした。


そんな彼も流石に人の子、選手としての活動の場から退く時が来るのは無理からぬ事だ。
この自然の摂理に逆行する事は難しい。
逆行しているのは三浦監督ぐらいのものだろう。
真面目で努力家な岡崎君、次の進路は判らない。
どうか第2の人生を素晴らしく荘厳して欲しいと切に思う。