生まれて初めて一ノ倉を見た

題名の通りです。
苦節?57年間、初めて谷川岳の一ノ倉沢を見ました。
本来なら30年前に何度も攀じ登っていて然るべきだったのですが機会は無かった。


■今回はこんなルートです。先ず香芝から土合へ。552km。


■土合から新宿の学会本部〜木場のアパホテルへ。225km。


■宿泊した木場のアパホテルから茅野経由で香芝へ帰還。558km。


■曇りでよく見えない一ノ倉沢です。


■画像処理されている方が見易いですね。
 曇っているのはこの辺りだけ、下界はピーカンでした。


■一ノ倉が有る水上町の湯檜曾を後にして東京を目指す。
 右手の山は前回行った志賀高原横手山ですねー。


深谷バイパスを走る。この辺りは送電線の鉄塔だらけ!
 綺麗に整列している鉄塔はカッケー!!


警察がらみ

毎日走り回ってますが警察もよく見掛けます。
取り締まり、警戒、事故処理など。
忙しいみたいですね。
余り好きではないけどご苦労様。


■こちらは消防で警察ではありません。


■所謂 青バイは昼夜を問わず走り回ります。交通違反以外にも目を光らせる。
 大抵、2台がセットです。


■新御堂の中央よりでスクータが止められてます。何をやったのでしょう。


■25号線の西行き方面で鼠捕り中


■それを後方からパチリ。


■夕方の谷町筋と勝山通り三叉路で見張る婦人警官さん。
 この人は中々のやり手で信号無視して交差点に進入してきた原チャリを
 笛を鳴らして追い回してましたよ。
 原チャリは脇道に逃げ込みましたが、もう悪さは控えるでしょう。

鰻の前に穴子も喰おう

5月18日は伊勢若松の近所まで仕事で行きました・・・って仕事以外で行く事なんて
無いですけどね。


■うちの家の傍にある165号線をどんどん辿ると青山峠を越えて久居の方まで行けるのです。


■青山峠を詰めて行きます。近鉄大阪線の下を潜ります。


■もう少しで西青山駅の駅高架の下を潜ります。


■仕事が終わって近所にあった穴子料理の魚長へ行きました。
 これは穴子丼、中々美味しかったですよ!

渋峠経由東京出張

去る5月14日にかねてから予定していたツーリング兼仕事で東京に行きました。


香芝の自宅から名古屋〜足助〜飯田〜大鹿村分杭峠杖突峠
和田峠上田市中野市渋峠〜前橋〜草加市(泊)で722km/17時間也。
5月15日は都内で仕事。
仕事を22時頃に終えて東海道を走り507km/12時間でした。


■往路と復路の地図です。



■面倒なので写真をどんどんアップしますよ。
(昨日は途中で寝てしまいました。)
(多忙な日々が続いて最終更新は6月2日になってしまいました。
 相済みません。)


信玄塚


治部坂峠のスノーシェード手前


分杭峠への道


分杭峠


諏訪湖


和田峠のトンネル手前で信号待ち


■所謂、志賀高原


志賀高原入口付近のホテル等


■雪が徐々に増えてくる。


横手山か、その辺りの山です。渋峠はあそこに。


横手山ドライブイン。峠までもうすぐ。


渋峠の表示は幾つか有りますがこれは1つ目。


■2つ目。


■いやー雪ですなー。白根草津方面の山々。
 草津温泉とは別・・・いや違った、同一。水上温泉と勘違いしました。
あっちの方はもっと奥の谷川岳一ノ倉出合まで行きたいな。


白根山に近付くと硫黄の匂いが芳しい・・・。


■高低差も結構あります。
 もう17時頃でして暗くなってきている。


■後ろをパチリ。
この後で頂上を目指す?サイクリストが一人居たがどうしたのやら。
峠クリア出来たのか引き返したのかどうか。何れにせよ下りは暗闇の中だろう。



この後は草津町へ下りて前橋からバイパス継続で一気に埼玉に入って
草加市内のビジネスホテルに辿り着きました。
朝の5時頃に家を出て22時頃に草加市、走行距離は720kmで勿論下道のみ。
終盤、前橋からは非常に早かったけど序盤中盤は日中走行で車が多かった。
空いていたとは言い難いけどマシな方でしたね。

ミカン山を行く

先日、和歌山市の仕事に行って帰りしの状況をば少し書きます。



時々、和歌山の仕事をします。主に和歌山市
こちらへの道は大阪からなら26号線とかになりますが香芝市からは通常は
24号線がメイン。信号も多く遅い。
私は紀ノ川南岸の道を利用するのが普通になってます。
走っていると南岸道路(和歌山橋本線)の更に南側に連なる山、多くはミカン山。
以前はヒルクライムや冬場の練習場所として走っていた。
その中の「県道120号線」へ復路の途中で行きました。
何処ぞの「過酷な道」サイトに掲載される事も有る道ですが、ミカン山の中の道としては
普通ですな。これが過酷とは・・・生っちょろいで。



■序盤はこんな感じが続きます。


■道はキツくなったり緩んだり、コンクリート道も交互に登場。


■送電線を真横から見るのも面白い。


■景色は良い。


■勾配もキツくなり面白い。20%超えたり切ったり。


■県道の最高地点に到着。麻生津峠。付近に十一面観世音が有るらしいが不明。
 サイクリストがあずま屋でヘバっていた。無理もない。かなりキツかったろう。


■此処から更に上がる道が有り奥に飯盛山荘が有るので見に行く。



■ガタガタの急勾配をドンドン詰めるとフと平たくなる箇所が。



■何やら門番の常駐所みたいな跡です。


■そしてもう少し上がるとコレが飯盛山荘(廃屋)


■もうボロボロですわ。
 此処に至る道程も道は狭いわ、急勾配やわで集客なんて見込めない場所である。
 なんでこの地にこんなホテルを建てたのか経緯を知りたいもんです。
 昔のバブル時代の遺産なんでしょうかねぇ。



これを見たかったので此処まで来た訳です。
この後は元の和歌山橋本線まで下り淡々と帰りました。

野麦峠の思い出

実は4月27日は信州のお蕎麦を食べたいとか、途中の伊勢若松で穴子料理を食べたい
とか思ってハーフツーリングに出ました。
(往復1000km以上を自分定義でフルツーリングとしています。)



地図は往路の中津川で一回リセットかかってしまい地元香芝市からの往路は出て
ませんが大体判りますよね。



主たる目標は野麦峠です!
此処は自転車で一度は走った事が有りました。(単車では何度も)
それは随分と昔で1986年の第1回乗鞍マウンテンサイクリングの時です。
この時は自転車に乗り出してやっと1年経った頃でしたが湧き上がる意欲にほだされ
参加した訳です。一般Cとかいうクラスでした。
総合優勝の当時信大の大原満君が1時間を切る辺りだった筈です。
私のクラスの優勝者は1時間10分辺り、私はそれより10分遅れという事で1時間20分は
掛っていなかったと思うけど、そんなに速い訳では無いですね。
当時はシッティングが駄目で下からゴールまでダンシングのみでした。
緩斜面で追いつかれ急斜面で突き放しの繰り返し、最後は後ろパラパラだったと
思います。歴代タイム



その時は松本〜新島々まで輪行で行って、新島々からは結構でかいザックを背負って
エッチラオッチラと狭い道を上がって行きました。
夜行電車で行ったから開催地の乗鞍高原というのか?迄は案外早い時間で到着。
完全な山登り装備でテントもしっかり張れたし自炊完了したので何処かへ行くぞ!
となりました。
そこで時間も有るし、野麦峠まで行くぞ!と足を延ばした訳です。
単車で安房峠とかは行っていて大変なのは判っていたので楽な方を選びました。



でもねー残念ながら30年程前の話なんで道中余り覚えてません。
なんしか野麦峠まで行った、と。
此処から向こう側に下ると乗鞍高原幕営地まで戻るのは並大抵ではないので
行かれへんで、とか思った記憶が有ります。


まぁ、そんなこんなで後で単車でも行った事は有りましたが久し振りなので
行こうという事になったんですが前置き長過ぎ済みません。



今回は単車、PCX125(スクーター)ですから時間にも超ルーズでお金も最低限。
楽なもんです。
夜中の3時過ぎにスタートし名古屋〜中津川〜木曽福島から361号線で長峰峠と
目指しましたが天気は曇り時々雨、合羽を着ての走行。
開田高原まで来ると吹雪いてきたぞ。
これは一寸楽ではないかもとドンドン詰めて行きます。



開田高原にて。この後で徐々に吹雪となり最後はかなりの状態となる。



単車は寒いけど楽ですなー。
そして峠に近くなると道路は結構積雪状態に。
1台ゆっくり走るツーリング者が居てサッサと抜かすと付いてくる。
彼も不安なのであろう。大丈夫やで。


長峰峠の積雪は処どころ有りましたが基本的に気温が高く0度以上
なので凍結していなくて助かりました。
長峰峠を下り出し暫し進むと野麦峠の飛騨側登り口が。
真っすぐ行って高山に行ってもつまらんし迷わず登り返し。
流石に長峰峠よりは高度が高く道一面に積雪箇所も増えてきましたが
足をバタバタさせつつ走破。
お助け小屋とか見えましたがこちらも基本的に吹雪の中でしたし景色は最低
とは言わんけどロクに見えぬまま峠を通過、うーん、峠って何やってん。
時折カッパにこびり付いた雪の塊がバサッツガサッと音を立てて道路に落下
する。


それでも下に降りてゆくと雪も止んできました。
途中でもう一度、境峠へ登り返し木祖村&19号線への最短ルートをとって
下界に降りました。いやー良い天気だ。
後は元来た道を辿って帰るだけ。




道の駅大桑から北西の中央アルプスを見る。




妻籠宿の風景です。本当は観光客でウジャウジャ、この時はたまたま人気無し。



途中、妻籠宿に寄りましたが・・・どうという事は有りませんでした。
目的の一部であった信州蕎麦も往路のコンビニでカップ蕎麦を食べただけ。
お腹をキュウキュウ言わせつつ帰宅しましたとサ。