思えば懐かし育ちの故郷

私が生まれたのは天王寺の愛染橋病院である。阪神高速の松原線に乗れば夕陽丘ICの辺りに見えます。
そして育ったのは当時の枚岡市繩手、今の東大阪市四条町付近である。今日は時間を作って行ってみた。


午前中は平野区のお客さん、それが済んだら中央環状巨摩橋から六万寺方面へ。暫し走ると懐かしい付近に到着した。


■昔は池があって真ん中に小さな瓢箪型の島が浮かんでいた。それで駅名が瓢箪山やぁ、と思っていた。
 瓢箪山稲荷神社、大きな酒樽が飾ってあった記憶がある。何かおどろおどろとした感じがしたものだ。


■細い路地を辿ると・・・。


■そうそう、この辺りだった。随分と綺麗になっている。
 鉄の網蓋をした溝が在るが40年程前はドブ小川が流れていて、よく突き落とされたものだ。
 当たり前だが・・・当時の面影は今や一切無くなっている。


■うむ、この白い塀の家の辺りに住んでいたのだ。


■見上げた生駒山は余り変わっていない気がする。これは変わらんなぁ。良かった・・・。


■うん、そう変わっていない気がする。なんせ40年以上前の事なんで記憶には自信なし。元々忘れ易いんです。


この後は嫁様の病(癌)の検査結果を確認しに森之宮の成人病センターへ行った。
嫁様と待合をして一緒に聞いた。当面はホルモン治療(通院)をする事になった。闘いはこれからである。
油断せずにしっかり進みたい。