いよいよ迫る、最終決戦

三船さんの残りレースがもう僅かになってきた。
加東と輪島とジャパンカップだけである。ああ、何と言うことか。
本人も大いにレース内容を詰めているが未だ土壇場の一勝が出来ない。
悔しいだろうし焦眉の思いだろう。
何か出来る事はないのかなぁ。


加東ロード、BR-!も始まりが遅くて終わりは夕方ですな。
この方向へ行く経路は数年前だが2号線有馬道〜水呑〜広河原方面から三木まで行った事がある。
復路は三木を出たのが18時頃で水呑から2号線有馬道までの下り、暗い中で車に追い回されて肩が凝った
思い出がある。ここの下り、夜は嫌だな。自転車のライトだと車ライトに撹乱されるんです。
どうしようかなぁ。


以前の話で恐縮だが、高野龍神スカイラインを南下し168号線を北上する循環コースを走った。
途中、吊橋の有る谷瀬でメゲてバス輪行に切り替えてしまった事が有った。
もう15年位、以前の事だ。
元々、輪行の準備をしていないので服も靴もそのまま状態。
他の乗客の奇異のものを見る目が何とも情け無かった。
今なら逆向きの難コースでも自走で完走なんだが若き時の自分は何が足らなかったのかな。
体力なんか絶対に50歳代より30歳代の方が有ったろうに。


似た事でドコゾの坂を上ったタイム、今も昔もそう変わらない。
当時は余程練習をしていなかったのだろう。
そうとしか考えられない。
でも4000mITTのタイムなんて5分とかだったから怠けていた訳では無い。
ロードだと機材の差が出るのか?
まぁそんな事を書いた所で最近の自分の体たらくは酷いものだ。
罪の意識を感じる、という事でもないが自分の体が徐々にボヨ〜ンとなってくるのは嫌なもんだ。
でも仕事は着実にしているので救われる。
しかし稼いだお金も税金や国民健康保険に消えていく予定なので、やや空しいものが有る。


国保に金を払うのがしんどいのは事実だが、救急体制に救われたのが昨夜の事。
仕事をなるべく早く切り上げてローラ台でも踏むかぁー、と考えていた。
すると嫁様に「あんた、選挙ポスター貼り替えなあかんで」と言われ二人で小雨の中を出掛けた。
現場で看板を外し新しいポスターを貼るのだが嫁様、ホッチキスのタマを使い過ぎて途中で無くなる。
「これは一旦家に戻ろか」と帰宅してガレージで二人で話をしだすと下の子が慌ててやってきた。
「兄ちゃん、晩御飯を吐いて、呼んでも返事せーへんねんー!」
なにー!!
バタバタと階上に上がるとマサにその通り。えらいこっちゃー、救急車!!

※この場合の「マサ」は有り難くない。。。何言うてんねん。\(@_@;)


緊急入院であった。
前回のてんかん発作から1年半、少しはマシになってるかなと思ったが直っていない。
担ぎ込まれて2時間程度で回復したがコレは考えんとイカンな!
てんかん克服、これを甘く見ていた上の子ケーヤン、猛反省を促すと共に心配してやらないと。