長男のケーヤン、逝く

うちの長男:和田継典(けいすけ)/ケーヤン15歳中3が金曜日の夜に急逝した。
後天性と思われる癲癇の発作が入浴中に出て溺死してしまった。
ジャパンカップへ行く予定も何処かへ吹っ飛んだ。


風呂場の異変に気付いた次男が発見、慌てて2階に居た自分と嫁様に知らせてくれた。
上半身が水に浸かってしまい動かないので急いで引き揚げて人工呼吸と心臓マッサージ、
駄目だ、蘇生しない。水に浸かっていた時間が長過ぎたか。


そして15分後には救急車に来てもらった。
救急隊員の皆さんも何とか・・・!の思いで必死になって蘇生術を施すが駄目だ。


「戻って来い、ケーヤン、頑張れ!」


状況は変わらない。
そのまま救急車の中で蘇生術を継続しながら橿原の県立医大へ。
此処はケーヤンが今年の3月に最初のてんかん発作で救急搬送された病院で以降の治療も
此処である。
2週間程前もソファーで寝そべってテレビを見ながら意識が飛んで嘔吐し救急搬送だった。
前2回共、救急搬送中に意識は戻ったが今回はいっこうに戻らないままだ。
そしてICUに入った。


外で暫く待つ。
遅れて嫁様も車で追ってやって来た。
固唾を呑んで待ち続けるとお医者さんが険しい表情で「難しい状況です」と告げる。
そして救急搬送から1時間半経った頃、ICUに呼ばれ夫婦で行った。
ぐったりしたままのケーヤン、皆さんは懸命に心臓マッサージなどを続けるが駄目だ。


「幾ら続けても心臓は動かない状態です。
 瞳孔は開いておりはっきり言って亡くなられた状態です。
 これでも蘇生術を続けると遺体を損傷させる事になりますが・・・。」


もはや此処までか。
妻はケーヤンにすがり付いて叫ぶ。


「ケーヤン、ケーヤン!頑張れ!起きてー!」


仮に此処で息を吹き返したとしても脳が酸欠を起こして壊死が始まっている。
体中に血は循環していないので回復しても普通ではない。
第一、心臓はもはや停止してしまったままだ。
決断をした。


「先生、有難うございました。此処までです。」


泣く嫁様を抱き抱えICUを後にした。悲しいというか心にポッカリと穴が空いた感じだ。
あの生意気で優しくて可愛いケーヤンはもう戻って来ないのだ。
信じられないがそうなんや。


やがて学会の皆さんが夜中に係わらずやってきてくれた。
暫く時間が経ち、帰宅することに。
ケーヤンの遺体は色々な管が入っていたので外し綺麗にして我が家に戻る事になった。


自宅での死亡は警察の検死が必要である。
病院内で刑事さんが来て色々と尋ねられる。それを元に調書が作成された。
現場検証も有るので警察の車に乗って刑事さん達と一緒に一足先に帰宅する。
ケーヤンが倒れていた風呂場の現場検証等を済ませる。
刑事さん達も気遣ってくれる。
やがて現場検証も終り調書も完成し警察内の処理は終了する。
後は市役所に死亡届を出して火葬の許可を取る必要がある。


刑事さん達が帰ると今度は自分の父が状況を尋ねるので正直に話す。
父も孫の死に愕然として矢鱈と怒るがどうしようもない。
やがて4時過ぎに学会の方が手配してくれた葬儀社の車でケーヤンは帰ってきた。
冷たくなって動かないケーヤン。
悲しかった。皆で泣いた。


7時頃に葬儀社の方が来て市役所への届けや葬儀の手配を始めてくれた。
9時過ぎにはお通夜と告別式の為に自治会役員の方が着て打ち合わせを開始、
やがて葬儀社の実務担当の方も着て大方の流れは決まった。
お通夜と告別式をどうするか決めてしまい金額も決まる。
うーむ、100万円近く要るのか。大変やなー!


全て方向が決まると後はプロの手に委ねて時を待つ。
15時にはケーヤンの遺体は式場へ移動となる。
自分・嫁様と次男がお通夜の会場へ行くが、その前に出来る範囲でケーヤン逝去の連絡を。
高木さんに連絡を入れた時はそう迷わなかった。信頼出来る友人だ。
三船さんへはどうするか。レース前だぞ。
でも三船さんは親しい友人である。腹を割って話し合える友人だし彼の精神力の強さを
信じて知らせる。
他にも連絡先を知っている安井さんに知らせた。
チームには高木さんが連絡してくれた。
余り遠い人には来てもらうのが気の毒なので後で報告するつもりにする。
基本的に時間が足らなくて迷いつつだった。


そしてお通夜に。時間の感覚が判らない。
やがて会場の準備も整い時間が来てお通夜は始まった。
自分も徐々に落ち着いてきて一種の諦観状態になる。
学会の方からの強い励ましで徐々に心もしっかりしてきた。


「ケーヤンの体は亡くなったが奴の心は自分の心の中に生きている。
 奴は早くして亡くなったがせめて奴の分まで頑張って生き抜いてやろう。
 心の中のケーヤンと一緒に生きていこう。」


徐々にだが本当にそう思える様になってきた。
お通夜は本当に沢山の方々が来て下さって嬉しかった。
皆、ケーヤンの死を悲しんでくれる。
驚いたのはケーヤンの親友達。数人居るのだがその悲しみ様が染みた。
もう辺りはばからず泣きじゃくって遺体から離れない。
ああ、ケーヤンはこんなにも慕われていたのか。
次男を奴隷に様に扱っていた事も多くてよく叱ったが可愛そうな事をした。
思っていたよりええ奴やったんやな。。。


お通夜は一応終わるが結構遅くまで色々な人が焼香に来て下さった。
遅い時間にも係わらず学友も居た。
そして嫁様と交代で遺体の傍に付く。
題目を送っている内に遺体が徐々に綺麗になっていくのが不思議であった。


やがて夜が明け暫く時間が経過し11時に告別式が始まる。
これまた多くの方々に参列して頂き嬉しかった。
そして再び泣き倒すケーヤンの親友達。
式は終り斎場へ。
自分は喪主なので先頭の霊柩車に乗りケーヤンの位牌と遺影を持つ。
家族、親族、学会の皆さん、そして親友達。
斎場で肉体のケーヤン最後の姿を皆で見送り火葬に伏す。


2時間程度後に再び斎場へ来る。
遺体は綺麗に焼けてしまっている。
骨を拾って骨壷に収めるが親友達は未だ来てくれている。
骨壷に骨を収めると自宅に戻って初七日である。
学会の儀典部の方々がお通夜・告別式・初七日をして下さり懸命に励まして下さる。
初七日も無事に終了して全て全てのイベントは完了した。


来てくれたケーヤンの親友達にケーヤンが残していた色々な物を持ってかえってもらう。
自分がケーヤンの誕生日に贈ったI-PODもジャンケン勝者に使ってもらう事にする。
これを皆に言うと流石に目の色が変わったね。(^_^;)
紫色の可愛いI-PODを得たのはケーヤンが亡くなって一番泣いていた親友だった。
しかるべき人の手元に行った、という訳だ。
最初は凄く悲しんでいた親友達も今後はケーヤンの分まで頑張って生きていこう!と
笑顔で帰っていった。その姿は晴々しく嬉しかったな。


自分の心でこうするぞ、と決めても中々簡単ではない。
でも人間は意志の生き物だ。感情だけでは無い筈だ。
これからは今までよりずっと強き心で悠々と人生を進んで行こうとケーヤンの遺影に誓った。


今回のお通夜や告別式に来て頂いてこの日記も読む方は少ないと思う。
遠い処であったり時間の調整が難しい皆さんも多かったのではないだろうか。
それでも来て頂き共に悲しんでもらい励ましてもらった。
又、同苦・激励の連絡を頂戴した。
心から感謝しております。
本当に有難うございました。私達は徐々にですが必ず一家全員が以前に増して力強く生きて
いきます。皆様のお陰です。本当に有難うございました。