C50

自分は3台のバイクを持っている。知らない間に3台になってしまった。
今回はC50の事を少し書いてみる。



1台は白マッサ号、そしてSCメルクス号、一番古いのはコルナゴC50である。
自分が自転車復帰したのは2005年で、それまでは屋根裏にコロンバスMAX号が有った
のとジャイアントのクロスバイクを無理矢理ロード化したのが有った。
復帰してから先ずはホイルをシマノ完組みを使ってみた。
そしてタイヤをバリアントに。この二つは衝撃的だった・・・。
特にバリアントには非常に感動し、こんな素晴らしいタイヤを開発した人に是非
に会いたい!と思ったら、それが三船さんだった。宮地さん、御免なはれ。



やがてコロンバスMAX号も何となく先が見えてきて末期に入ってきたので他の物を
物色しだす。近い自転車屋さんを探しておかないと、と思って探すと出てきたのが
八尾のつーばいつー。
夜に近鉄恩智駅からポクポク歩いた。
着くとフレームが沢山吊るしてあったので店ちょさんに色々と聞く。
本当はピナレロ4-13が欲しかったのだが店に有ったC50に目を奪われる・・・。
「安しまっせ」という囁きにクラクラッとなりこれを購入する事に決定したのだった。



今までスチールがメインだったので、このカーボンフレームには非常に感動した。
新しいホイルやタイヤ、そしてフレーム。もう何でも感動である。
全然違うぞ。
何時の頃か仕事で方々に出動する際に自転車を使い出したのだが、これもC50の乗り
心地が良かったからである。
何と路面からの衝撃がソフトな事か。そして気持ちよく進む。
C50は固い、という何処かの雑誌の試乗録が有ったけどアレは嘘やね。



兎に角、疲れが足に堪らないので方々行きました。
三船さんがサウスチャイナシーで大怪我をした直後に無理を押して出た野洲希望ケ丘も
積雪の中を行ったら「えらい雪の中をタイソなバイクで・・・」と言われたのが懐かしい。
169号線から熊野3日第2ステージ周回し帰宅したのは最初の1day300km以上だった。
1day300km以上はこの頃からC50によって始まった。



或る時に福知山の顧客(大阪の顧客の福知山工場)のパソコン類の調子が悪くて何度も
通う事になったのでC50で通った。
丁度、ユーラスを購入したタイミングだったのでC50とユーラスの組み合わせでよく
9号線を走った。暑い日も夜も・・・。でも気持ちよく走れた。
これも往復1day300km以上だけど、これはジテツーでしたね。何日も続けて行ってた。
地味練と称して走ってました。



三船さんが諏訪湖のクロスに出る、というので応援に自走で入ってみる事にした時もC50。
香芝から165号線と1号線で名古屋、そこから19号線で中津川を経由して長野へ。
この県境付近は単車時代に死に掛けたり警察のご厄介になったりで思い出の有るエリア。
バイクで静々走るのは感慨深いものがありました。
この後は19号線を通しで走るのは止めて飯田へ転進し伊那路を北上し最後は有賀峠を
通って諏訪に下りた。394kmだったか396kmだったか。
もう少し走っておけば400kmだったけど、この時はもーええわぃと思ってました。
ダラ坂多い道だったけど距離が長いとユーラスが有効であると感じた。
但し当時のバリアントでは固くて疲れ易くなるのでマッサコンプを使っていた。



さて最近は1day300km以上でもC50は使っていない。
これはタイヤもホイルも当時より良い物が出回ってきたからである。
最近多用しているデュロ25c、走行抵抗が少なくて足も楽賃。
故に頑丈な白マッサ号での出動が多い。
実はC50はスローピングと言えど510mmで自分には少し小さい目である。
SCメルクス号は更に小さい。
最近は小さいフレームを使うケースが多いのだが自分の好みではない。
白マッサ号は530mmでまぁまぁ。もうご逝去したコロンバスMAX号など560mmだった。
そんなのも有って白マッサ号が一番馴染む。
大きい目のフレームが欲しいけどなー。
お金が有ったら佳代ちゃんで550mmとか欲しいなー、と思うけどC50未だ健全なので
暫くはこれで行こう。



■時々乗ってます、C50。こうしてみるとロングライド専門バイクですな。
 レースに使ったりした事は無いです。今年の7月のショット。



■足之郷越えの下りでパチリ。2006年3月26日。同じC50でも装備がダサイ。
 洗濯バサミ、あかんね。コンポは全部105、デュラ使うならケンタウル欲しい。


■ツールド熊野第2ステージ、札立峠へ左折する前の金山交差点の傍で。
 これは2006年4月21日です。リアホイルのスポーク切れてますな。