ペダリングとは

このペダリングって難しいですね。
回し方というより「自分に合ったギア帯域」という方が判り易いかも知れませんが要するに自分には
どういう運動速度がマッチしているのか?という難しい問いかけであります。



自分の場合は自転車乗り始め:重い目。
レース開始当初:重い目。
その後、軽いギア(というか皆が普通に使っている帯域)を:転落?開始。
2005年後半から:徐々に重いギアで復活、現在に至る。

という状況であった。
中学生の頃はランニングが得意で冬の恒例であった校内マラソン大会では:
(マジでマラソンやってない。何でこんなネーミング?10km弱です)大抵10位以内だった。
高校生になっても調子は良くて1500mは当然4分台。(その後1万mは30分まで詰めた。)



この頃から「旅」「冒険」に憧れたのか登山に熱が入ってきて一人で色々な山を登る。
歩くというより小走り登山、この時の歩行ペースは今のペダリングに似ているかも知れない。
イノーも昔は競歩選手だったと言うけど、歩くペースとペダリングのペースは相通じる
ものが有るのかも。



登山の方はやがてフリークライムに続きましてオートバイでよく広島・山口・岡山の王子ケ岳・
鈴鹿御在所岳へオートバイで通った。
この時の運動速度はかなりゆっくり。
岩登りの時にパパッと駆け上るというのは普通は有り得ない。
(ああ、この時の写真が無いのが残念)



で、何度もヤルが自分の不始末でオートバイに乗れなくなって自転車で近所の岩場(笠置等)
まで行くようになる。
その時に「自転車は楽しいな!」というのに気付く。これが自分の一生を決めた?\(~o~)/
自分の家の前から始めれるスポーツ、上限はほぼ無い。
死ぬ程頑張っても警察に捕まる事は無いし車やオートバイより遥かに安全だ!
こりゃー胃潰瘍になる様なストレスを感じる岩登りより良いぞ、と気付いた。
ペダリング運動は上限が無いぞ!
しかも歩きやランニングより景色が変わるスピードが早くて気持ちいい!!



もっと多くの人が自転車の楽しみを理解したら人生幸福になるだろうな、と切に思う。
話を元に戻す。
此処で初めて自転車を開始するが当然ながらペダリングスキルなんて無い。
当初は運動靴で走っていたし高回転など出来ない。
昔から歩き本位だったので寧ろ低回転が多かった。
そして自転車はママチャリから一気にロードレーサーへとアップグレードする。
自分が始めた頃は未だトゥクリップ全盛期だった。
普通の靴を無理やり突っ込んでキュっと痛くならない程度に締めて走る。
引き足なんで使える状態では無い。



兎に角、乗っていて楽しい〜、という事で知り合いから貰ったロードレーサで方々行った。
ロード開始1週間後に奈良市学園前から浜松まで行ったけど苦労しました。
6時に出て12時頃に長良川を渡り何も知らずに名古屋都市高速に入ってしまいビビる。
早々に降りて下道を走るも岡崎でパンク。
初めてのパンク修理、当時はウォルバーのチューブラ!交換の方法が判らない。
わざわざタイヤ交換時にセメントを塗って手がベタベタ・・・。
これで心が折れて岡崎から輪行にチェンジするも輪行知識も無く根性も無く豊橋で下車、
静岡県に入った所で予定していた友人宅まで行った。
グローブ持っていなかったのでフリークライムの時に使うテープを手に巻いて走ったので
手がベタベタだったのを覚えている。
帰りは四日市辺りから輪行だったかなー。



あっ、又話が逸れてしまいました。ペダリングというかギアの適正帯域の話でした。
まぁ自分にはそんな履歴が有り何処にも高速で足を動かすという事が無かった。
せいぜい実業団に登録した直後にピスト練習という恐ろしいものに出くわすまでは
低速(中速?)ペダリングであった。
ピストはしょうがないというか、これしか無いので此処で論じるのは見当違いかも
知れないので又の機会にします。あくまでロードに絞って書きます。



何処かに書いたと思うけど、そんなサイクリングを経由してロードレースに入る。
初レースはあの乗鞍ヒルクライム第1回目で案外走れた。
勿論、コンパクトクランクなんて無い。52-42と13〜21の世界である。
クランク長は170mmだった。
他の選手との違い:勾配が急な箇所はペース一緒、緩斜面は自分が早かった。
シッティングのスキルが無くて殆どダンシングで走っていた。



この後でグリーンピア三木に出てチャンピオン某クラスでまずまずの成績に入った事に
気をよくして実業団登録。
東淀川のイトーレーシングに入って鍛えてもらう。
次の年の春の三田ウッディタウンでの100kmチームロードが最初のレースだった。
この前位に元サンツアーの山本康夫さんに
「あんたの走り方は中々良い」(重い目のギアを踏む走り方)と誉められるのだが
周囲の意見や指導でインナー多用方式に変わっていく。
それに従って自分の成績は低迷。
鈴鹿でのレースではヘロヘロ。
ところが日本CSCのレースでは余裕、此処で気付くべきだった。
自分は回転走行は向いていない。(まぁ程度物ですけどね・・・。)



そして仕事が忙しくなる。
イトーレーシングから枚方のポップコーンに移籍する。
練習コースは天王高船周回コースで今の三船さん宅の近所、この頃は三船邸は未だ
無くて、あの辺りは山だったと思う。
そして仕事多忙を理由にロードレースからフェードアウトしてしまう。
仕事多忙は暫く続きオートバイに乗ったりして自転車とは疎遠に。
職場が変わり東京単身赴任になったのが2001年10月。(約1年で関西に帰還した。)
12月には自転車部分復活、千葉県の行徳を中心にサイクリングを始める。
地元奈良県香芝市に戻った後はチョロチョロ乗ってました。
2005年秋に舞鶴サイクリングショップ田中のイベントに参加して三船さんに初対面した
けど感激でした。その後、今に至るです。



三船さんブログ「とほほ」日記を読んでいて、三船さんが大ギア使いである事を知り
自分の中に疼いていた「大ギアへの憧れ」が蘇る。
近所に有って手近なテスト坂である165号線国分駅付近〜田尻峠までの短い坂で色々と
試し出す。
最初は39-17だったが39-16を多用、そして53-21から19へ。
自分の場合はアウター使う方が速い。これで三船理論を体で確認し今に至るって感じですね。
無論、ジャンル的に激坂はインナーしか駄目ですが、そうではない場合はアウターの
方が機械的なパワーロスが少ないと思う。間違いなく回し易い。
そうかー!では信じて進めば道は開けるな!という事で此処数年間はインナーは殆ど
使っておりませんな。



一つの結論に辿り着くまで長々と書いてしまった。
これはまさに自分のペダリング徘徊記そのものであります。
色々迷った末に一人の達人を知り、それを真似て実を知る。
面白いものであります。