昔の怖い思い出

こちらの病院、外を眺めると部屋が9階なので景色が良くて天気の良い時は大山崎方面
などがよく見える。
目を内側に転じると、この階は自分も含めた目の患者ばかりが過ごしている。
殆どお年寄りが多くて痴呆が入っている人も多い。
痴呆が入っている人は言動が妙で面白いというか何と言うか・・・チグハグなんですね。
人間、老いるとこの方向は中々避け難いのかも知れない。
過去の事を語りだす人も居て興味が有るので耳を傾けるが、もう年代と事象が全然ずれ
ている。自分も大同小異なのだろうか・・・。



とか言いつつ昔話を書いてみる。なんせ自転車に乗れないので思い出し話しか無い。
自分は以前は単車乗りだった。
自転車にマトモに乗れたのが中2の夏休みで急激に習得していったけど単車もツイデに
習得した。勿論、その頃は無免許だけど関係無い。
単車では1day1,000kmとかよく走ったけど、何かその頃からエンデューロ系だったかも。
(勿論、高速道路なんて使わない。)



数ある単車の思い出の中で怖い思いをした事が何度が有るけど未だに忘れられない
思い出が二つ有る。ややトラウマかな、強い印象が残っている。
一つは1970年代後半、その時はスズキGS750に乗っていた。
大人気だったカワサキRS750の後を追って販売されたグットハンドリングの良いバイクだった。
ハンドリングがアンダーの強いRS750に対しGS750は非常にニュートラルで扱い易く
エンジンも軽く回っていたけど耐バンピング性能は物足らなかった。
つまり高レベルなハンドリングを維持する為に全体的にソフトな感じになり振られ易い車体で
あった。



大阪から奈良市の自宅に帰る途中、阪奈道路を通る。
その時は夜で帰宅の車も多くて上がりは集団に埋もれてゆっくり。
山の上まで上がってから集団の一番前へ移動、下りを開始する。
どんどんスピートを上げて今でいう王将の手前辺りの緩いライトハンダー、うっかり凹凸を
踏んでしまう。
この時は既に160km/h位まで上がっていて足回りも限界状態、そこで振られ始めた。
グワングワンと大きく揺れる車体、右にバンキングしているがイン側ガードレールが
ヘルメットとミラーをかすめる。でも我慢してゆっくり収束させるしかない。
「死」というものがフワリフワリと自分の右側に漂っていた・・・。



何とか収束させてスピードを落とす事に成功して安堵、やはり一般車はアカンわ〜、と
ガックリ。流石にこの後は自重した。
自重も有るし足回りも普通路に合わせタイヤも剛性が無いから危険でした。
その何年か後でRZ350&スリックタイヤ仕様で同じ様なスピードで走った事が有ったけど
何も無かった。
まぁこの道でこんなスピードで走れるのは大昔ならでは。
今は交通量も多いだろうし危ない。第一、こういうのは興味が無くなっている。
何というか「死」というものを身近に非常に具体的に感じた記憶の一つ。



時は過ぎて2002年だったか・・・、今度は国道19号線。単車はヤマハ・マジェスティ。
たかだか250ccのスクーターだけど案外よく走り燃費が35kmを頻発して経済的な
車体だった。
当時は東京単身赴任時代で、現地交通手段として未だ自転車は採用していなかった。
GWも終る事に奈良の自宅から塩尻諏訪経由で住まいが有る千葉へ戻ろうとしていた。



19号線の流れはまずまず。
矢張り下道ばかりを使っていて名古屋市の渋滞に辟易していて、19号線に入って
からは空いてきたので飛ばし出した。
何でかボルボのワゴンで飛ばすのが居て調子を合わせて走っていた。
やがて中津川を通過、前に出光のタンクローリーが居る。
こいつを抜こう、と考えてスピードアップさせながら急接近、しかし反対車線に
見落とした車が居た。
ややっ、これは右側からは無理や!左の隙間は未だ空いているかー?
無理やりタンクローリの左側にねじ込んだ。
しかし道路は急激にキュっと細くなっている。うわーっ、もう終わりかー!



しかしタンクローリーが速度を緩めてくれたお陰で何とかスリ抜けに成功、ハンドル
左端はヂューン!とガードレールに摺っていた。ガードレールの外側は直ぐに崖で
下は川だった。
最悪、ガードレールとタンクローリーに挟まって崖下の川に放り出される処だった
ろう。実に危なかった。
こちらの思い出はややトラウマになっているけど、安全運転の為にはそれ位が良い。
もう御免ですわ。



この二つの思い出、他にも危ない場面は幾つも有ったけど忘れられない鮮烈なもの
である。今後の教訓としていきたいと思ってます。
自転車、速度が遅いなんて油断せずに・・・。下り早いですもんね。