復帰・・・

此処で復帰と言うと私自身の復帰?とも思われるかも知れませんが、一寸違います。



実は少し前にうちの組織の方の息子さんに脳腫瘍が発見された。
検査の結果、かなり重症であることが判明、大変な事態である。
来週早々に手術だが手術の成功と1日も早い治癒(復帰)を祈っている。
祈っている・・・って心の中で念じてるだけではなく具体的に祈っているんです。
多くの同志も心を合わせて祈ってます。
今日1日、そして何回か。基本的には治るまで。
正直、数日前から気が気ではなかたけど局面は厳しいみたいだ。



立正安国論にも有るのだが
「自身の安穏を願うなら四方の静謐も祈らんものか」
とある。
自分一人が平穏無事でも周囲の環境がそうでなかったら結局は自身の平和も
崩れてしまうという事を説いている。
実際、その通りだと思います。自分一人上手く行っていても周りの状態がエライ事
だと全然幸福な気分にはなれない。
そうでなくても人間はお互いの関係性・連続性が顕著な存在だ。
人間は環境の生き物だから、それは当然の事だと思う。
日々、それが繰り返され展開され続いている。


以上はさて置き・・・、
自分自身、生き永らえれるか死ぬかの瀬戸際を何度か体験してきた。
近いのだと2003年のくも膜下出血の時がそうだった。
この時は嫁様の不退転の決意の祈りのお陰で不思議にも動脈瘤が消え去った。
医者も「不思議だ・・・!」を繰り返した。
嫁様自身、重度の乳癌になったのに祈りの力で癌を駆除してしまい、又もや医者
は「不思議・・・」を連発した。



これ程、効果が有る祈りなら何故、和田伝の右目は治らないのか?
それはその人自身の危機感によると思う。
私は結構、のんびり傾向が強くて
「何とかなるさー、ならんかったら諦めるさー。」と思い込んでしまう傾向が強い。
面倒臭がり屋なのである。
それでは駄目なのである。(自分で判っている。)
強き決意を固め危機感を持ち切羽詰って祈って初めて祈りは効果を発揮する。
もっと言えば自分の使命を自覚する事だろうか。
使命=自分の命を削り使い果たしても惜しくない課題に取り組む、の意だ。
そう簡単なものではないですね。



自分の事業が開けないのも、自転車の走りの内容がドンドン落ち込むのも
自分の右目も不安定な心拍数も原因はソコにあるのでは、と思い始めている。
結局、この点に於いては変わらなくてはいけないのは自分自身だ。
自分が変わらないと全てが良くならないのだろう。
これを改善するしかないですね。
それで初めて「復帰」が叶うのではないかと思ってます。