ちょっと話題を変えて

私、何時もですと自転車の話題が中心でして、たまに趣向を変えてコンピュータ関連とか
政治の話を書きますが今回はもっと変えて登山の話で。



私の登山暦、先ずは中学校自体のボーイスカウトでアウトドアを触発されたのが始まり。
高校生の時は色々やったけど登山部所属でも有りました。
高1の夏山合宿は大峰山系を北(吉野林道なんて無かった時代)から始め弥山で一旦
ストップし軽装で八経ケ岳まで行き、天川村に下りるというコースが本格的なものでした。
前半は40kgの荷に潰されつつ吐きながら死ぬ思いで懐かしいです。



そこから始まった登山は徐々に拡大してゆき最終的には冬の氷瀑クライムへと発展して
ゆくのですがその間、殆ど単独行だったというのが・・・我が儘な性格やったんでしょうね。
仲間と時間を調整して行く、という面倒な事はしたくなかったし仲間にそういう事を交渉する
のが苦手であった、という事も有ります。
社会人になってチームで仕事をする様になってからは、そうも言っておれないので自然に
単独癖は弱まりましたが、現在の自営業時代を振り返ると当時に戻っているかの様な
気がします。



さて、此処からは山テーマに変わるので自転車趣味の方は訳判らんかも・・・。
高2の時に色々と登った中で思い出に残るのを一つ書いてみます。


■ルート
1日目:富山>>>上市>>>馬場島スタート〜(早月尾根)〜早月小屋(泊)
2日目:早月小屋〜(早月尾根)〜剣岳〜剣沢(泊)
3日目:剣沢〜真砂〜ハシゴ谷乗越〜内蔵助平(泊)
4日目:内蔵助平〜黒部川出合〜下の廊下〜阿曾原温泉〜欅平>>>富山


1日目:
生まれて初めての剣岳、そして早月尾根。未だ体は出来ておらず夜行電車でも寝れずで
しんどかった。
アルプス3大急登と言われた早月尾根は吐きながら上がった記憶があります。
登る前に飲んだファンタグレープは吐いても美味しいので又飲み込んだりしてました。
早月小屋は素晴らしい小屋で働いていた姉ちゃんも可愛かったな。
取付〜小屋まで5時間程度だったような記憶が。


2日目:
明るい日射の中を剣岳を目指す。早月尾根の上部は景色が良くて沢山の写真を撮影した筈
ですが今は無し。
今まで本でしか見た事が無い風景に圧倒されましたね。
何時の日か、遠くに見える岩壁群を登ってやるぞ!と心に誓ってました。
(やがて岩壁登りまくる日も遠くはなかった。)
剣岳頂上は他の登山者が多くて驚いたものです。そのまま立山方向へ降りて剣沢テント地の
端っこに。
此処でささやかな幕営です。雷鳥の鳴く声が何とも心地よかったです。


3日目:ゆっくり起きて辺りを散策し昼頃に移動開始。
剣沢を降りて真砂沢出合の辺からハシゴ谷乗越(峠になる)を経由して人気の無い
内蔵助平に。
普通は通過地点になるが沢沿いの適当な処にチョコンと幕営
最近では知りませんが当時は来る人も滅多に居ない静かなエリアでした。
近所の丸山東壁とかを見たりしてからゆっくり就寝。沢の音が気持ち良かったです。


4日目:この日は強行軍。
谷の朝は遅く結構寝てしまい8時頃にスタートした記憶があります。
荒れた内蔵助谷を駆け下りて黒部川出合から核心の下の廊下へ。日電水平歩道が延々と
続きます。
雪渓はかなり残っていて中々スリリングでしたが何より疲れる道でした。
岩壁をコの字形にくり抜いた部分や太い針金を手摺にして崖道を進んだり木の桟道を歩いたり
北アルプス初心者の単独行には中々刺激的でありました。
新越沢の滝は見応え有りましたが他は余り印象に残らず。十字峡も普通な感じでした。


それより志合谷出合付近の風景が印象的でしたね。
日本一を誇る奥鐘山西壁の威容、ホウ雪崩で有名な志合谷を潜る真っ暗なトンネル。
雪崩で吹き飛ばされ壊れた後の黒三ダム工事宿舎跡など。
此処では一体何人亡くなられたのか。
権兵衛トンネルという小さなトンネルが風通しが凄く良くてへたり込んだのを覚えてます。
そこから少し進めば黒部渓谷鉄道の終点である欅平でした。旅は此処でお終い。
最近の下の廊下(日電歩道)は結構登山客が多いみたいですが当時は誰一人居ません
でした・・・。


この時は兎に角、初めづくして疲れたり大きな印象を受けたりでした。
これを契機にどんどんと山に浸透してゆくのですが、この時程印象が残った登山は少ない
ですね。
この時に歩んだ道をもう一回辿ってみたいな、という気持ちになります。
ずっと同じ事の繰り返しも飽きますし新鮮な気持ちになりたいですね。