他人の痛みを理解するのは

何でも成田山では陸前高田の松を使って行事をしたという事で福島の人達が喜んでいる
らしい。


読売新聞によると、成田山新勝寺が9月25日に行った「柴灯大護摩供」という儀式に
陸前高田の松で放射線量が計測出なかった物を燃やしたそうである。
使う前は100件程の抗議の連絡が来たらしい。
どうやら僅かな放射線をも恐れて福島県民の痛みを理解して励まそうと思わないのは
京都だけではなく千葉も同じ、いや全国的に概ね同じなのだろう。


私見だが僅かな放射線を恐れ、排他し福島の人達を傷付けても良いので少しでも自分の
身は安全な状態にしておきたい、というのは情けないけど大方の人間の考えである様で
実に残念に感じる。


地震直後は「私に何か出来るだろうか、何かしてあげたい。」と国民大合唱の如く
騒いでいたが実際に蓋を開けるとトンでもない。逃げ回るだけである。
予想通りの現状であるが哀しいというか・・・終いには腹が立つ。
自分なら少々放射線汚染しても気にしない。
もっと厳しい状況で苦しみ奮闘し此処までやって来て未だ叩かれ続けている。



思うのだが風評被害を広げている根本は陸前高田の松を嫌う人達の心の中に根付いて
いると思う。
受け止める自分達も苦しむ人達の中に入って共に手を取る位でないと福島は永く救われ
ない。
そういう思いがあるので自分も通販で汚染臭いものでも通販で買って食べている。
「美味しかったよ、放射線なんて気にしない。」と便りを出すと喜ぶ人達。
汚染するなら一緒に汚染しよう、その上で共に立ち直っていこう、という気持ちになら
ないと心は結び付かないと思うのである。